2018/3.5 Wet Plate Collodion Process 湿板写真の復活に!!

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湿板写真の復活

世の写真機、デジカメやスマホの便利で奥の浅い

最先端を否定する気はまったくなく、僕は限りなく面倒で、不自由なカメラで撮影をしたかった。本当に専門的な撮影技術や知識、技法、熟練を要する技のような物を習得しなければ写せない、そんな写真を写したかった。
 
巷では最先端のPC+が大にぎわいの昨今。150年前に廃れた写真技法を復活させるため僕はスタジオにこもり実験、撮影を繰り返した。写真に愛情と運命があるがこそ、便利とか、手軽だとかのその本質とは全く関係ないところで消えて行ったので、なんの得にもならず、ただ確かめたくって、もう一度自らの手で再現する。今の僕は写真と向き合うために、この事は、すごく重要なことだと思った。

そして2月の26日に僕は150年前の「ガラス湿板」の技術を復活した。

思えば何年か前、それはコダックが倒産し、富士フィルムがケツをまくり、写真という皮を被ったデジタル画像があたかも最高のように認識される昨今、僕は本質的なところを自分の手を動かし検証したい思いから、湿板という技法の復活を選んだ。

そして、そこに向かう動機の大きな一つに、自身でフィルムを作ってみたいという思い。それは、企画課された既得権益のとの戦いでもありました。自分で作れれば、それは自由を手に入れられるはず。

もし、僕の写真が工芸や芸術の一端にみられるのならばそれはみた人の価値観であり、僕はただ単に技術の中にその実態を写しこめるその技法として写真に向き合い、それは、技法こそ違いはあれど、画家や音楽かと同じ行為であると考えた。

最先端のデジカメから出てくる画像は、

最先端のデジカメから出てくる画像は、一応写真という事になってはいる。デジカメのCCDは、年々進化して、ISO6400なんて軽くこなし、プリントにいたってはB0ぐらいの引き延ばしなんかへでもない。もちろん写真家に技術あっての事ではあるが、一度パソコンに落とし込んでしまえば、それはどうとでもなる。

僕は、去年ぐらいから、そのフラストレーションからか、とにかく不自由で面倒な撮影がしたくてたまらなくなっていた。

そして僕は150年前の技法である「ガラス湿板」を成功させた。この技法は、日本では幕末あたり、あの有名な坂本龍馬の写真がそれである。ガラスと銀によってハガキサイズの大きさに定着されたその写真の実体感はすごいもので、世の中判デジタルなんか全く及びもしないものが出来上がり、僕はびっくりした。

200年前のダゲレオタイプから始まり

息絶え絶えのフィルムまでが本来の写真なのかもしれないと改めて思いました。引き続き道具を変え8×10の大きさにて等身大の写真の準備をしています。
 
まだ、大々的にTeragishi photo Studio®のサービスの一端としてお受けできるほどではありませんが、湿板で自身の姿をガラスの中に写し込みたいとご要望があればお受けしますので、お気軽にお問い合わせください。
 

湿板写真の復活
この記事を書いた人
Kouichi Teragishi

Teragishi photo Studio® 仙台在住のフォトグラファーです。

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