SALLY OF PINK IN THE TRASH 2013 VARANASI

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考えてみたらば、この何ヶ月ものあいだ、それはずーっと僕の頭から離れる事はなく、

いつも頭の右上のあたりにしこりのように、それはあり続けた。

写真というものに、僕がとり付かれたのは、多分、まだ、僕が僕である前の段階のすごく幼い頃、それは、母の影響ではなかったのではないかと、今は思う。

僕の幼い頃、僕の父は、外国航路の船乗りであり、一度、航海に出ると、それは何ヶ月もの間、戻る事はなく、その間、僕は母と二人で小さな部屋のアパートで二人で過ごす事になる。

父のいない間、小さなアパートは、僕と母との二人だけの空間になり、今でも覚えているのだが、部屋の壁には大きな地図が張ってあり、いつも母はそこに虫ピンのようなものをさし、今父がどこらへんを航海してるのか、まるで、自分に言い聞かせるように僕に話してくれた。

昭和40年代、世は希望に輝く高度成長期。

父が、長い航海から戻ると、

僕は今でも思い出すほどに、それはうれしくて、毎日のようにいろいろな所に連れて行ってもらい、おいしいものを3人で食べ、そして、母は父に遊んでもらっている所や何気ない仕草を撮影した。

今でも忘れないが、その頃撮られた写真は、ほぼ母の手によるもので、それはオリンパスのPEN、36枚取りフィルムで72枚撮影が可能なハーフサイズの小型カメラだった。

いつの時代も、道具にこだわるのは男の性のようで、当時父は自分専用のカメラを持っており、それは今でもはっきり覚えているが、ごつい皮の立派なケースに入ったCanon のレジファインダー、確かf 1.8ぐらいの大きな前玉のレンズの付いたカメラだったが、僕の覚えている限りにおいて、父がそのカメラで撮影していた記憶はない。

父が長い航海に出てるあいだ、僕と母は、小さな座卓にアルバムを広げ、

一枚一枚写真を指差し、ここはどこで、いついったんだとか、

この時は何を食べてどうしたこうした、と、話していた記憶が、その後、僕の写真を扱う上での大切なベースになったんだな、と、今回のThe SAREE OF PINK!!の大量のネガをみながらぼーっと考えたりした。

なにが良いとか、昔がこうだった、とか、いまさら、どうでも良い話かもしれないが、事、音楽に対して、デジタルの立ち回りは、常に2トラ38のテープの音や、アナログレコードの音を追い求め、事、写真でいうなら、いつも我々は奥行きのある銀塩プリントの質感を、デジタル画像の上に無意識に追い求めるようである。

たかが写真、されど写真。だれが押そうが、同じ設定で、同じ光ならば同じ写真が撮れるのではあるまいか。では、いったい我々が残そうとするために押すシャッターに、その回数と同じぐらい価値あるものが、はたしてどのくらいあるというのか?

どんな写真でも、それは皆等しく、まずいカレーの理屈と同じで、それは、写した人間が、その写真をどこまで愛せるのかということで、それは、いわゆる、自分のことをどこまで許せるのだろうか、と同義ではないか。

個展なんて本当の事をいえば大バカもののする行為の筆頭だと思っているが、その大バカしかやらない行為をしてみることにより、初めてわかることも、あることは事実のようだ。

考えているだけで分かった気になってしまいがちのこの現代社会において、やはり、今も昔も、やってみて初めてわかるのが真実ではあるまいかって、あらためて思う。

The SAREE OF PINK!! 2016年6月1日から〜AER(アエル)ビル29F ニコンプラザ仙台で二週間やります!是非、見に来てください。

2020″ Thank you for your viewing ! We look forward to shooting you! Teragishi photo Studio® photo by K.Teragishi® http://teragishi.com/

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